私は必要なくなった。私の存在は要らなくなった。同じ人間から必要とされないと言われたら、世界が私をいらないと言ったような気がした。もとから私は世界など必要としていなかった。だけれども、世界から私を必要しないと言われたとき、なぜか、そう、すべてが終わったような気がした。世界に居場所がなく、人と同じ空間に慣れることなく、ああ、私はこの世に生きている腐敗物であり、もしかして誰かが僕と同じ人間だよ、などと同情心で言ってくれていても、それは死人のような屍だ。やさしくされても同じだ。結局は私に寄り添ってきても、一日でその本能本性が明かになり、捨てられる。罵倒は慣れる、ああ、それがなぜか快楽になる。娯楽になる。そこに私の存在がある限り、いつまでも罵倒が浴びせられるのならば、私の存在表現になる。だけど、存在があっても、だけど、人間としてみてくれなく、人として必要としてくれなくなり、物として扱われ、捨てられ、リサイクル、そう、人間が物になり、使われたらリサイクルされ、改良され、また使われ捨てられる。すべてが敵だ。すべてが私を厭なものをみるような目でみる。こわい。こわい。こわい。それが、なぜだかとてもこわい。物を散らかしても誰かが片付けてくれると、誰かが掃除機をうぃんうぃんうぃんと鳴らし綺麗にしてくれる。それは私のためではない。自分の領域を穢されたからだ。穢されたものは磨かなければならない。時間がないからと、三次元の世界を理由にしてわたしを放っておく。ほら、掃除機の音が聞こえる。ほら、意味のないラヂオが聞こえる。ほら、ほら、ほら、

世界が終わる前にはやく、私から世界を見捨てる
早く逃げろなど到底通用しない