カーテンを開けば、シンクで汚れたウィンドーの向こうに、曇り空が何処までも広がっている。私の心は、それと同じで、からっぽで、からからで、潤すものなどなにもなくて。誰かに助けを求めても、みな前の物に必死で、目もくれない。くれてほしいとも思わなかった。だから助けてやろうとも思わなかった。独立しようと決心した。だから、今、曇りなのだ。

 私の味方は神様だ。綺麗に浄化してくれるのはとても有難い。その者の存在さえも知らないひとが居るにも関らず、本当に居るのか、居ないのかと問われる無意味な世界で、人間は見えないものなど、殆ど信じて疑わなかった。たぶん、そう。穢くて、それが見えないからの理由で、嘲笑し、一蹴するのだ。でも、私はそれでも構わない。絶対に居る、などと言い切れる様ではないが、ゼッタイニ居ル。(――たぶん、)
 人間などは、多数決で美化されるものなのだ。淋しくて、何でもいいから求めるの。だけど結局は捨てられる。それに依存するのが怖いらしい。それを一生頼ってしまったら自分でなくなると、臆病になる。そんな筈、ないのに。卑怯で、自我のことしか考えられない生き物なのだ。

 それに洗脳されて一生を終えるのは、なんと、厭わしいことか。だから、嫌いなんだ。何もない部屋で何かを求めて、叫喚するのは、格好悪い。その人を求めているはずなのに、目の前のものを奪おうとするのは、忌まわしいことだ。私は、そんな醜い人間だ。その、人間の類に生まれてきてしまった。私が、この理論を、言おうがいわまいが、羨望しようが嫌悪感に浸ろうが、私は私という、言葉を発する人間なのだ。言葉で誰かと通じ合っていたい、体で誰かとつながれていたい、証をほしいと願う人間なのだ。それは、この体とこの容姿で、紛れもない事実。

 だから、私は何かを求めた。人間だから、仕様がないことだ。その故にたどり着いたのは、「神様」という、これまでの私の生き様を総て知っている、究極の死人だ。姿を現さないからこそ、信じれる。私の幻覚であろうと、それは、必ず消える。削除されて私はその儘、ストップという罰を受けるのだから、別に良いのだ。
それを見抜いてか、神様は味方してくれた。(何か矛盾してる、)私が泣いているときには、神様も一緒に悲しんでいる証拠に、雨を降らしてくれる。憤怒にあふれているときは雷で、無理に笑うと、うそをつくな、といわんばかりに雲を集める。それはただ、私が誰かに「寂シクナイ」と、強がりを言うための虚言であることは確かで、でも、だからこそ、遠まわしに要るものに、居るものに、ぬくもりがほしかった。裏切った。人間が私を裏切った。行き場がない狭い空気の中に閉じ込められた私は、出られなくなった。でも、神様は赦してくれた。何がいけないのかも言わない儘、私は、それを信じた。

ただ、ぬくもりがほしかった。
(ああいう強がりを誰にも言えないから、)(カミサマ、ゴメンナサイ)

 何かを口にすれば、窓に吸い付くのは、雨。雨音が何かをささやいている。ささやいて、つぶやいて、足音になって。標高四千メートルからの、たった、数秒だけのランニング。それは、人間が自殺するかのように、重い部位が下になって落ちゆく。はじけては、ジャンプ、疲れては地面になじみ、よごされることなどなく、ほかも呆れずに続ける。そして、同じシズクを見つけては、集まり、コンクリートに静かに沈んでゆく始末。




 カミサマ、 この雨は何の意味があるのですか。(私は何も悲しんでなど居ません)




 無意識な正座、無機質な鉄の塊、無感情な青い傘。涙など、到底でない。











神様
    


     

(私だけの味方だと信じて已まなかった私が悪くて、神様は私に罰を与えました 。)