(いくら溜まっても海にはなれないのに 、)


ひらひら、 と、音がする。風は、彼女のしなやかな髪を通り抜けてゆく。その、綺麗な髪を揺らしながら、少し駆けたかと思うと、ひらり、此方を向いてにっこりと微笑した。さんは、まるでレースのような、繊細で、パステルカラーのような印象だった。それは今も変わらず、「亀梨くん、亀梨くん!」と、子供みたいな声で僕の足を止めさせる。二人でいると、時間がゆっくり進んでいて、さんの言葉はいつも仮名まじりの雲みたいだった。本当に水蒸気の集まった雲みたいで、手が届きそうな具合から、どんどんと上へ昇っていく。山に登らなければ、飛行機にでも乗らなければ、その上へとはたどり着けない。(もし、俺が其処へとたどり着いたとしても、白い粒は、一向に掴めないだろう)隣にいる筈なのに、何故か、遠くて、存在価値がまるでちがう。ああ、もっと俺が大人になれれば、 と、さんの後ろを追いかけながら、そう、思った。
(俺がもっと大人になれば)と思うほどに、俺は子供で、歳の差も、隙間も、秒数も、色も、直ぐに変わってしまう。元々、さんの身体に手が届くよう、近づいた俺が悪かった。羨望しすぎた。その結果、何も出来ずに、終ってしまう。


( そして、)



「亀梨くん、ほら、空がきれい」



いつもより、声のトーンが低いことに気づく。でも、知らない振りをした。怖くて、何か恐ろしくて。さんに近づくたびに、酷く、激越に、臆病になっていく。(それをさんは、「優しい」というけれど、それは、この距離が一層遠くならないようにするためなんです。)
ふ、 と、彼女の顔が見える。俯いていた俺を覗くようにして、ふわり、ふわ、ふわわ、彼女の髪の匂いが鼻を掠める。目をきちんとあわせられなくて、余計に俯いてしまうと、彼女の細くて艶やかな指は、俺の頬を軽く押し潰した。驚いた俺を見て、さんは、どうしたの、と軽く首をかしげる。十センチでも近づけば、唇が触れそうで、自分の思う以上に距離が近かった。(気持ちまで、近ければ、辛苦することもない って、)
「いいよ、いいづらいでしょう?」頬に置いた手を離して、後ろへジャンピング。子供らしい彼女の指は、思うほどに、爪が伸びていて、大人っぽい赤のネイル。服装もよくよく見れば、淡いカジュアルなワンピースで、黒もよく似合うようになっていた。たぶん、彼女にそういえば、「年下のくせに」、と、笑うんだ。

だから、もっと、近づきたい、と思ってしまう。彼女に似合う、素朴で、華奢な男になりたいと。それに理由なんかない。ただ、彼女といると落ち着いて、形の整った首を見るのが大好きで。それを総て手に入れようと、刹那に考えるものの、それは、絶対にムリだと、
さんは、長い髪の毛を揺らしながら、俺と簡単に目を合わした。振り返った彼女の美しさは、マリアのようで、少し、若かった母を思い出した。そして、俺に向かって虚しそうに微笑したんだ。その笑顔が、今でも忘れられなくて、寂しそうな彼女を抱きしめようとして、一歩近づいたのは、 事実。



「亀梨くんは、私みたいな人をじゃなくって、もっと、素敵な人が似合うと思うよ」



だから、私なんか、相手にしないで、 ね、


彼女の総てを受け入れようとした俺は、空回りをしていて、もっと、彼女には、俺にいえないような事情を抱えていた。だからこそ、俺は受け入れてあげたかったのに、彼女には、俺よりもっと大切な人が出来ていたんだ。別れの言葉まで、やさしくて、なるべく傷つけないようにと、笑ってくれたんだと思うけれど、それは、逆に俺の心を、更に乾かしてしまった。そんなことに迄、気づかなかった。俺より傷ついているのは、絶対に恭子さんの方。でも、彼女はやさしくて、言葉で俺を包み込んでくれて、だから、離したくなかった、筈、なのに 、

(御免なさいもいえない俺は、きっと、彼女をこれからも傷つける事しか出来ない)









あなたの声は、あなたの言葉は、あなたの存在は、
僕の生きる総てでした。今ではもう、加害者でしか居れないけれど。